本書は、人工知能の先駆的な研究者であるマーヴィン・ミンスキー博士が、子供の教育について語った6つのエッセイを収録したものです。子供の想像力を育むのに必要なことや環境について、博士独自の洞察と知恵が込められています。各エッセイには、マサチューセッツ工科大学(MIT)でミンスキー博士の盟友だった研究者による解説が添えられており、博士の言葉を現在に結びつけています。コンピューター・サイエンス教育への期待が高まる中、「新しい学び」の議論に、新たな視点を与えてくれる一冊。
「訳者あとがき」より:
私は1998年頃から現在まで約20年にわたり、アラン・ケイ博士の部下そしてまた協力者として、コンピューティングと教育に関するさまざまなプロジェクトに従事してきた。この本にまとめられたマーヴィン・ミンスキー博士のエッセイが書かれるきっかけとなったOLPCプロジェクトにも参加し、エッセイがプロジェクトのサイトで発表された時には興味深く読んだものである。編者のシンシア・ソロモン博士とはその頃から親交があり、Scratchカンファレンスなどで一緒になった時には、アランや他の人に関する昔話を聞かせてもらったりもした。
『Inventive Minds』というこの本の計画については、2017年9月にアランから「エッセイ1へのあとがき」の構想を聞かされた時に知った。アランは、コンピューターが人類にとっての新しい「メディア」となる可能性について生涯をかけて研究している。彼は、アイデアを伝えるための媒体の一例として、論旨を展開するための文章と、読者が変更できる動的なシミュレーションとを融合した「アクティブ・エッセイ」と呼ばれるスタイルの文書を作ることに以前から興味を持っていた。彼がこの本に参加するようシンシアから打診された時には、彼の中で「アクティブ・エッセイの虫」が大きく騒ぎ出したことだろう。
シンシアとしては、協力者にはそれぞれ数ページの簡単な文章を書いてもらえばよいという心積もりであった。アラン以外の協力者はちゃんと空気を読み、適度な量の文章を提供したのだが、アランにとっては、敬愛するマーヴィンについて、たった数ページ書くだけではとても満足できない。彼は文章を丁寧に書いただけでなく、絵や図、そして子供が扱えるようなシミュレーションのプログラムまで作ってしまった。
動的なシミュレーションの部分は、ウェブページに埋め込むことが可能で、また想定された読者である中学生レベルの読者でも変更できるものとし、そしてせっかくだから仲間が作った言語を使おう、ということで、ジョン・マロニー博士とイェンス・メーニヒ(Jens Monig)、そして私の3人で作っていたGPというエンド・ユーザー向けプログラミング・システムを使うこととなった。
アランは結局数カ月かけて文書とGPのプログラムを編集し続け、2017年末にシンシアに提出した原稿は、本書のフォーマットで数えれば30ページを超えるものとなっていた。
その後はしばらく進行を追っていなかったが、2018年4月頃に、友人であり、オライリー・ジャパンからも何冊かの本を出版している阿部和広氏から、本の翻訳をしてみないかと打診があった。話を聞いてみると、なんとその本が『Inventive Minds』だったのである。阿部さんは私が原著に関与したということを知らずに、たまたま連絡してきてくれたのである。
本の内容は、OLPCプロジェクトの時に読んだミンスキー博士のエッセイ、そして上記のアランによる文章などがあり、私が興味を持つ分野のど真ん中を突いている。その上で翻訳の打診を受けるという偶然が重なったからには、引き受けないわけにはいかない。
受け取った原著の原稿は、かなり完成に近いものではあった。アランの「エッセイ1へのあとがき」は、シンシアから聞かされていた通りに(「これはマーヴィンの本なのに、シミュレーションの話なんか書いたりして!」)、見事に動的シミュレーションの部分が削られて、文章量は半分ほどになっていた。ただ、翻訳のために精読してみると、一部に時系列の間違いや、用語の使い方に問題があるところもあった。そのようなフィードバックをアランへ送ることができたことも、作業上のやりがいの一部となった。そのようなやり取りを経て、アランの承諾を得て、原著では割愛されてしまった部分を含めて、日本語版ではアランが最初に書いた原稿全文を収録できる運びとなった。
(中略)
ミンスキー博士とは、一度だけ短い会話をする機会があった。たまたま手に持っていた知恵の輪に2通りの解法があることに気がついた時だったので、コーヒーブレイクを取っていた博士に「この知恵の輪は2通りの解法があるんですよ」と見せたところ、「何でそういうことがある時はたいてい2通りなんだろうね?」と謎かけをされるという経験をした。その時は気がつかなかったが、この問いは博士が長年発していたものであり、エッセイ2でも「なぜこの類のものはたいてい2つで1組なのだろうか」と触れられていたのである。
ミンスキー博士の残した「アイデア」の大きさは、この本に寄せられた協力者の文章の中でも、「そのまま実現はできないかもしれないが」「(難しいことを)あえて主張している」「ダイヤの鉱山のようなもの」といった表現で、そのまま簡単に同意できるような意見ばかりではないことが、繰り返し書かれている。日本の教育現場でも、常識的には「ミンスキー博士の書いていることを適用するのは難しい」という結論に達するかもしれない。ただし、それもまた「人々に考えさせる」ためのミンスキー博士一流のレトリックであり、博士は私たちに考え続け、少しずつでも改善できるところから改善することを望んでいたがゆえとも言えるだろう。