人工知能、自動運転、オンデマンドサービス、ギグエコノミー、補助拡張された労働者など、最先端のテクノロジーがもたらす予想もできなかった事物によって、ビジネス、政治、そして「職」はどう変わっていくのか、また、人間中心の未来を作っていくために、我々はどんな選択をするべきなのか。出版、カンファレンス事業で、テクノロジーのトレンドを先取りし、「シリコンバレーの予言者」と称される著者が、オープンソース・ソフトウェアを中心にしたテクノロジーの歴史と、それが社会に与えてきた大きな影響を振り返り、そこから学んだ経験をもとに次世代ビジネスの戦略を伝授する。エンジニア、起業家、そしてテクノロジーに関わるすべての読者必読の書。
「訳者解説」
本書はティム・オライリー著『WTF?:What's the Future and Why It's Up to Us』(Harper Business、2017年)の全訳である。翻訳にあたっては出版社から得たPDFファイルの最終版を元に、随時ハードカバー版を参照している。
原題『WTF?』は、感嘆表現「What the Fuck!?」の略で、口語ではかなり普及しているとはいえ、結構お下品な表現ではある。そして日本語の「ヤバイ」と同じで、当初は悪い意味ではじまったけれど、だんだんよい意味でも使われるようになってきた。原題はさらにそこに「What's The Future?」の略も兼ねさせるという、いささか翻訳者泣かせの仕掛けまでほどこしている。これを完全に訳しきるのは不可能なので、ご覧のような処理にさせていただいた。
本書の主張と著者について
本書の主張は、新しい技術がもたらすWTF?という驚きを、悪い驚きではなくよい驚きにしていこう、というものだ。そしてインターネットやオープンソースソフトウェアで彼が果たした役割(およびそのときに活用した考え方や手法)を、台頭する人工知能や大規模ネットプラットフォームにも適用することで、それが実現するのではないか、と著者は述べる。
著者ティム・オライリーといえば、特にUnix系のコンピューター関係者なら知らぬ者のない出版社オライリーの親玉だ。この邦訳の版元がオライリー・ジャパンなので、わざわざ説明するのは蛇足もいいところではあるけれど、主に古い動物の銅版画を表紙にあつらえた同社のシリーズは、各種のプログラミング言語やプロトコル、ソフトなどについての世界的スタンダードだ。しかも常に話題が盛り上がり始めた見事なタイミングで、ツボを突いた本が登場する。
なぜそんなことができるのか? 本書を読むと、それが明らかとなる。
・著者とその同志デール・ダハティが、Unixのスクリプト活用により入稿から出版までの時間を大幅に短縮し、すばやい刊行を実現。
・出版事業とカンファレンス事業の相乗効果。先端的なネタが熟すのを待つのではなく、その筋で話題になっているトピックの主要人物を集めてイベントを開催し、ムーブメント化することで自ら市場を作り出す。
・ティム・オライリー(とその仲間たち)の嗅覚。
本書は、特にその嗅覚の中身を著者が自ら述べるという、非常に興味深いものだ。どういう考え方で、何に注目することで、多くの技術トレンドを先取りできたのか?
さらにこうした技術的な動きは、技術屋の世界を超えたもっと大きな社会変化をも生み出した。それも単なる便利な道具を提供するだけでなく、社会自体の仕組みの変化がコンピューター業界での技術構造の変化を反映する様子さえある。すると、これからの社会変化の萌芽も、先進的な技術やそれを体現する企業に見られるはずだ。著者が注目するのはどこか? そしてそうした動きを、意識的にもっと大きな社会的課題の技術的解決へとつなげるために何が必要と考えているのか? これが本書の読みどころだろう。
本書のあらすじ
まず著者は、自分が深くコミットしていたコンピューターの歴史を振り返るところから始める。
その昔、パーソナルコンピューターが生まれ、多種多様なマシンが登場したけれど、仕様をオープンにしたIBM PCがプラットフォームとなったことで一時はPC/AT互換機メーカーがコンピューター業界の覇者となった。すると収益源はそのプラットフォームをそろえるためのOSとその上のアプリケーションに移り、マイクロソフトの覇権がやってきた。
そしてオープンソースソフトとインターネットの普及により、ウェブが共通のプラットフォームとして普及し、今度はその上で提供されるサービスが重要となった(ウェブ2.0)。利用者の多くがパソコンからモバイルに移行するにつれて、その性質は強まる。
グーグルやフェイスブックやアマゾンはAPIを公開し、他のプレーヤーがサービスを構築するための新たなプラットフォームとなり、そこで利用者について収集したビッグデータも活用できるようにしている。
自分は、こうした動きが持つ自発的な協働性と、それを可能にするプラットフォーム性やオープン性に着目していたのだ、と著者は述べる。そして新しい価値を生み出すトレンドやビジネス領域は、かつての主戦場に隣接したところにシフトする。自分はそれを常に念頭に置いていたのだ、と。
そこから著者は、次の大きな価値創造の場だと考えている領域と、それを体現する企業について述べる。ウーバー(およびリフト)やエアビーアンドビーなどの、シェアリングエコノミーの代表とされる企業だ。それらは以下のような特徴を持つ。
・物質を情報で置きかえる
・ネットワーク化された市場プラットフォーム
・オンデマンド
・アルゴリズムによる管理
・補助拡張された労働者
・魔法のようなユーザー体験
そしてこれらは、シェアエコノミー企業だけの話ではない。ウーバーはきわめてインターネット的なやり方を、都市交通という実体経済に持ち込んで、それを大きく変えつつある(よかれあしかれ)。同じように、こうした考え方を実体経済に適用して改善できる部分はずっと多いはずだ! たとえば以下のようなアイデアが述べられる。
・ウーバーなどのオンデマンド労働による通称「ギグエコノミー」は労働を根本的に変える。ブラック企業の悪質な非正規雇用より、そうした自由度ある労働形態を主流にすることで労働市場も改革できるのではないか?
・企業自体も、アマゾンのように各部局が他の社内部署(および社外)にAPI経由でサービスを提供するプラットフォーム型組織になれるのでは?
・行政も、いまのお役所仕事ではなくもっとプラットフォーム的にして、人々が自由に活用できるAPI群にしてしまえばよいのでは?
・フェイクニュース問題は、アルゴリズムの活用とブロックチェーンなどによる正真性確認で改善できるのではないか?
ただし、そうした変化をうまく人間重視の方向に持っていくためには、社会全体の指向を人間重視に変えねばならない、と著者は述べる。まず、そもそもこうした変化を許容するような規制緩和が必要だ。それができたら、目標設定さえしっかりしていれば、機械学習を通じたシステム最適化を急速に行うことも可能だ。
だが現在の教育は、こうした新しい動きに向けて人々の永続的な学習を支援するものになっていない。さらに実体経済を犠牲にしてお金の亡者と化した金融資本主義が、技術の非人間的な活用を生み、格差の拡大を引き起こしている。これを変えねばならない、と著者は述べる。それを実現するのが、我々の選択だ、と。
ある意味で、本書はテクノ楽観主義の書だ。グーグルやフェイスブックなど(通称GAFA)が巨大プラットフォームとして台頭してきたことを、類書の多くは警戒する。そうした私企業が、社会全体を左右するような大きな力を持ち、民主主義的なチェックなしで何でもできる点を危惧することが多い。本書はそのような見方はせず、こうした技術プラットフォーム系企業の成功と台頭を、自分の見てきた技術発展の自然な流れと捉え、生じている各種問題もアルゴリズムによる技術的な問題だとする。これ自体には異論のある人もいるだろうが、一方で著者ならではの技術的視点として刺激的なものだ。
そして、その視点から出てくるウーバーに触発された新しい社会へのビジョンも、ティム・オライリーならではの説得力を持つ。オンデマンドで労働者が自発的に働く、通称「ギグエコノミー」については、批判的な見方もあるし、また限られたものだからあまり過大な期待をすべきではないという声も強い。でも、パソコンもインターネットも、オープンソース・ソフトウェアも、キワモノ扱いされているうちに、いつのまにか天下を取った。そうした動きを先取りした著者の指摘は、一概に無視できるものではない。
それが主流にならない場合でも、現在の社会制度が機能不全に陥りつつあるように見えるなか、あり得る別の仕組みのヒントとして、一考の価値はあるだろう。しかも、行政のプラットフォーム化をはじめ、多くの提案はすでに著者が何らかの形で試したという実績まである。
そのための前提として挙げられる、資本主義批判や格差批判となると、さすがの著者も技術的な解決策を持っているわけではない。批判としてはわかるが、「みんな拝金主義はやめよう」というだけでは事態が変わるはずもない……のだろうか?
実はあまり明示的には書いていないながら、この分野でも著者は営利だけを重視しないベンチャー資本、ユーチューバーの大量発生、メイカー運動とクラウドファンディングの拡大によって、各種プラットフォームに基づいた新しい価値流通の仕組みができあがる可能性に期待をかけているようだ。さてこの見通し、どこまで当たるだろうか? 案外これまた10年後に「ティム・オライリーはやっぱり慧眼だった」ということになるのかもしれない。
本書はもっぱら、アメリカを舞台にしているし、事例も主にアメリカ中心だ。でも各種プラットフォームの影響力はもちろん日本でも変わらないし、著者の見方も十分に適用できる。そして実現可能性はもとより、著者の指摘する社会変革の必要性や、技術的な解決策の一部は日本にこそ必要なものかもしれない。
いや、日本だけではない。実はこれを書いているのはキューバのハバナ(しかもできすぎた話だが、そのオライリー通り)だったりする。こうした国も、国際情勢や経済環境の変化とともに今後大きく変わらざるを得ない。そこではおそらく技術が、よかれあしかれ大きな変化のツールにもなり、場合によってはその原動力ともなるだろう。その方向性を見るためにも、著者の視点は有用かもしれない─それがこの地でどう展開するかは、もちろんいまのところ見当もつかないのだけれど。
(追記:蛇足ながら、著者の経済についての話は多少誤解がある。13章では、グーグル社の経済影響報告に出た広告主等の収益増加の数字がそのままGDPへの貢献だと述べている。でもその分、他の会社の仕事が減っていればGDPには影響しない。経済全体への価値創造を見るには別の考え方が必要となる。また16章に出てくる気候変動についての対応は、どこまで本当だろうか? 著者はそれを「パスカルの賭け」と対比させている。が、パスカルの賭けは通常、論理学ではまちがった考え方の一種とされることを忘れてはいけない。)
かつて『Linux日本語環境』を出してもらい、その後もいろいろ出版物にお世話になったオライリーから、その親玉の本を訳して出すというのは、個人的にとても感慨深い体験ではあった。ありがとう。非常に明快な本で、特に悩むところのない翻訳ではあったけれど、思わぬまちがいもあるはずだ。お気づきの方はご一報いただければ幸い。明らかとなったまちがいは、サポートページ(https://cruel.org/books/WTF/)で随時公開する。
2018年10月 ハバナ、オライリー通りにて
山形浩生(hiyori13@alum.mit.edu)