
左端がベントリー博士
私は一度だけ日本を訪ねたことがあります。それは1986年、京都での素晴らしい1週間でした。私はアルゴリズム・ワークショップに招かれ、プログラミングのみならず、多くの分野で活躍する日本人たちとの知己を得、一緒に成果を残すという機会に恵まれました。
また、冒頭に掲げた写真はワイオミング州にあるグランドチトン山の山頂(標高4,197メートル)で撮影されたものです。私たちは友情の印として、また行程をともにした仲間への敬意を示すために日米の国旗を掲げました(このときわれわれ一行は、山岳ガイドとわざわざ日本からグランドチトン登山のためにやってきた男性、そして私の3名でした。山頂にたどりついたとき、この日本人の方がおもむろに日米の国旗を取り出し、われわれは嬉しい驚きに包まれました)。とても嬉しい思い出です。ですから、日本にいる私の友人たち、昔からの知り合いである古くからの友人たち、最近知り合った若い友人たち、そしてこれからお会いする友人たちに向けてこうしてお話できることをとても嬉しく思います。
最初に『ビューティフルコード』執筆の話を聞いたとき、私は長時間にわたり、そして真剣に、プログラミングが持つさまざまな美しさについて考えました。多くのユーザと長年の使用に耐える強力かつ堅牢、業務用途にも耐えうるプログラムも美しいと言えます。プログラミング以外の分野にもこの種の美しさはあります。例えば、ラドヤード・キップリングの詩にもこの種の美しさがあります。彼の詩は何ページにもわたり延々と強弱のある詩体が躍動します。登山者としての私は、ヨセミテ渓谷にあるエル・キャピタンの壮大な岩肌を見上げるときにも、この種の美しさを感じます。建築で言えば、兵庫県の姫路城のような要塞に、この種の美しさを感じる人もいるでしょう。
私は結局、さまざまな美しさについて書くのではなく、ミニマリズムの美しさを書くことにしました。日本はミニマリズムの美について、ずっと世界に示し続けてきました。例えば俳句、優美な富士山(壮大でかつ完璧に均整が取れています)、そして繊細でも機能的な伝統的な家屋はその代表です。私が『ビューティフルコード』のエッセイの中で言いたかった美は、俳句が体現する美に共通するものです。俳句ではとても短い語句に、とても力強いメッセージを託しています。
そのような美を持つプログラムに対する喜びを、こう表現したほうがいいかもしれません。
(俳句風に)
美しいプログラム
小さく、速く、ムダがなく強力
コードにとって何という喜び
私はこの本が日本語に翻訳されることを心から嬉しく思っています。日米間にはすでに強力な文化の架け橋がありますが、この本によってその架け橋がさらに堅固になることを期待します。最後に私の思い入れを次の言葉に託します。
(やはり俳句風に)
暖かい心、うまく言えないけれど
良き友たちのやさしい記憶
日本のみなさんへ感謝を込めて
ジョン・ベントリー(Jon Bentley)