まつもとゆきひろ『プログラミング言語Ruby』を大いに語る

第1回 「ヤギ」と「ハチドリ」のあいだ(前編)

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読者のみなさんへ:
この記事は東京、大阪で行われた『プログラミング言語Ruby』刊行記念トークイベントの内容をもとに構成されたものです。このトークイベントの動画はニコニコ動画で公開されていますので、よりリアルな雰囲気を味わいたい方は、[こちら]をご覧ください。

まつもとゆきひろです。Rubyというプログラミング言語を作った人です。『プログラミング言語Ruby』という本の共著者ということになっています。かなり名前だけですが。

ここから始まった『Rubyデスクトップリファレンス』

最初の最初から話をするとですね、奥付を調べたら2000年11月21日と書いてあったので、もう9年も前ですね。本を出したんです。『Rubyデスクトップリファレンス』っていう本です。本当はポケットリファレンスという、今でもあるのかな? ポケットリファレンスという本(のシリーズ)が出てたんですけれど、妙に厚くなってポケットには入らないということで、デスクトップリファレンスに急遽なったという、いわくつきの本です。当時出たばかりのRuby 1.6というバージョンに対応していました。

『Rubyデスクトップリファレンス』

表紙の動物はヤギですね。ワイルドゴート。
僕の家は羊がトレードマークで、というのも母親が羊好きで羊グッズを集めています。実家に帰ると、一角に「羊コーナー」があって、羊のぬいぐるみや羊のポスター、そういうものがいろいろある。それで「羊でお願いします」って言ったら、編集の人が「ハイ、分かりました」と。「これは羊だな」と思って、でも「もしどうしてもダメならハチドリにしてください」って言ったんです。ハチドリと言ったのは、ブラジルの方にRuby-throated Hummingbird1という喉の辺りが赤い鳥がいるんです。それがRubyっぽいかなと思って。「羊かハチドリか、どっちかをお願いします」と言ったら編集の人が「ハイ、分かりました」って。

その前の年にアスキーから出た黄色い本2は、よく見ると各ページの上の方に片方には羊が、片方にはハチドリがついてる、この辺は僕の意向を酌んでくれたんです。ところがオライリーは蓋を開けたらヤギの表紙が来て「どういうこと?」と言ったら、よく分からないけど向こうのデザイナがと。この本のすぐあとにCVS Pocket Reference3という本が出て、そっちがモコモコとしたいわゆる羊の表紙で、「負けた」という感じでした。

それで、この本は2000年に出ました。この本が、今みなさんの手元にある『プログラミング言語Ruby』に連なる一連の流れの中でも一番古い本です。これが原型です。
コアな人の評判はよかったんですけど、あんまり数は出ませんでした。クラスの階層図とかついていて、いろいろ工夫したんですけれども、紙が妙に厚かったのが敗因かなと。結構いい本なんですけれど、増刷が1度もかかってないという4、残念ですね。

よく「続編を出してください。このサイズで出してください」と要望を言われることがあるんですけど、前の失敗の経験があるので、なかなか勇気が出ません。需要はあると思うんですけどね。

私、「まつもとゆきひろ」という名前であちこちの本に顔を出しています。このあいだ楽天で検索したら、18冊くらいあるらしいんですけど、単著として出した、つまり一人で書いたのはこれだけなんです。レアものですね。

1 ノドアカハチドリ:ブラジルとお話していますが、実際は北米から中米に住んでいます。
[Wikipedia]

2 オブジェクト指向スクリプト言語Ruby:1999年10月アスキーより発行。現在は品切れ。
http://ascii.asciimw.jp/books/books/detail/4-7561-3254-5.shtml

3 CVS Pocket Reference:2000年8月刊行。日本語版は2001年2月に発行。
http://oreilly.com/catalog/9780596000035/
http://www.oreilly.co.jp/books/4873110351/

4 1度だけ増刷がかかっています。

英語版のはずが大幅加筆『Ruby in a Nutshell』

matz20090212.jpg

この本はあまり数が出なかったんですけど、話題にはなったので、英語にしたいという話がきまして、それでデイビッド・レイノルズさん(David L. Reynolds, Jr.)という人が翻訳をなさったんです。

私たちは、特に技術関係の書籍は、英語から日本語に翻訳された本をたくさん読みますよね。こんなに翻訳の本が手に入る国はあまりたくさんないんじゃないかと思います。ですが、どこの出版社さんも逆の経験、つまり日本語から英語へ翻訳することがほとんどないんです。

アスキーで出した本にも翻訳の話があったんですけど、出来あがってきた翻訳がひどい出来で、いわゆる日本語英語みたいな感じで、これでは英語で出版できないだろうということで、手直ししている間にボツってしまった。そういう経験があったので、僕の英語ではだめだろう。

僕の英語力なんてたかが知れているから。プレゼンテーションするときには「分かってやるか」みたいなところがあるのは確かなんですけれども、やっぱりアメリカのマーケットでアメリカ人に対して本として受け入れられるのは全然違うことなので、(翻訳は)無理だろうと思っていたんです。

これはオライリーのスタッフから聞いた話なんで、どうやって見つけて来たのか知らないんですけれど、「この本を翻訳したいんだけどいい?」とメールが来た。いろいろ話をしているうちにすごく上手に翻訳してくれて、これで『Rubyデスクトップリファレンス』英語版ができるなあと思っていたらですね、オライリーUSの編集者からメールが来た、量が少ないと。

日本でもそうでしたけど、ポケットリファレンスにするには量が多すぎる。かといって、それよりも厚い本にするには量が足りない。倍に書き足したらin a Nutshellにできると言われて、死にそうになりながら書きました。こうしてできたのが『Ruby in a Nutshell』5。大変苦労した本ですけれども、この本は大急ぎで書き上げたので間違いが残っていましたね。

『Ruby in a Nutshell』

2年後の1月に発売なんですね。この本もあんまり売れなかったんです。目にした人は多いんじゃないかと思いますけれどね。既にピッケル本6などもありましたから、そっちの方が評判がよかった。

in a Nutshellの色違いバージョンです。違いに気がつきますか?

『Ruby in a Nutshell』(色違い)
ruby_nutshell_fr.jpg

これも同じ年2002年に出てるんですけれど、注目していただきたいのは右上の黒い部分。日本語のデスクトップリファレンスには「Ruby 1.6」と書いてあるんですけれど、ここ、よく見ると「édition français」と書いてあって、これフランス語版なんですね。これはレアものです。エリック・ジャコボニ(Eric Jacoboni)さんが英語版からフランス語版に翻訳したもの7。日本には、僕の家にある2冊しかないと思います。

家にある英語版には間違いを訂正するため、いっぱいいっぱい書き込みがしてあるんですけれど、フランス語版はそれらの間違いの多くが訂正されているので、フランス語版の方が正確です。間違いが少ない。フランス語は読めないけど、サンプルコードは読めるので。だからといって、今さらフランス語版を手に入れる必要があるかどうかは分かりませんけど。たぶんないですね。

このフランス語版はびっくりするくらい早く出ました。フランス語版と同じころにロシア語版の計画もあったのですが、ロシア語版はポシャりました。やはり翻訳は難しいんだと思いますね。フランスはそれなりに書き下ろしも翻訳もしているので、がんばった方ではないかと思います。

まったく余談なんですが、OCaml8ってご存知ですか? 関数型言語。オライリーからOCamlの本が出ているんですけれど、フランス語版なんです。もともとOCamlを作っているのがINRIAという研究所(国立情報学自動制御研究所)でもありますけれど、OCaml本はフランス語版がオリジナルなんです。日本語にはなっていません。英語にもなっているかいないかという状況です9フランス人の関数型言語好きは尋常じゃない。これは完全に余談です。

5 Ruby in a Nutshell:2002年1月発行。下記のリンク先には2001年11月と書かれていますが、書籍を確認したところ、まつもとさんのご記憶通り2002年1月発行。
http://oreilly.com/catalog/9780596002145/

6 Programming Ruby:日本語版は『プログラミング言語Ruby』オーム社より発行。
http://ssl.ohmsha.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?&ISBN=4-274-06642-8
http://ssl.ohmsha.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?&ISBN=4-274-06643-6

7 Ruby in a Nutshell(édition français):2002年4月発行。現在は絶版。オライリー・ジャパン社内にも見当たりませんでした。

8 Object_Caml:関数型言語MLの一種で、安全性と信頼性を主眼に開発されているプログラミング言語。
http://caml.inria.fr/ocaml/
http://ocaml.jp/

9 日本では未刊行。米国でも出版されていないようなのですが、英訳を進めている方がいらっしゃいます。一部ですが、日本語訳もされているようです。
http://caml.inria.fr/pub/docs/oreilly-book/
http://d.hatena.ne.jp/sumii/20051004/1128414064

(つづく)

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